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OLの”映画備忘録”みたいなもの

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エミリー・ローズ

裁判員制度について考えさせらた映画
エミリー・ローズ デラックス・コレクターズ・エディション

CM等ではホラー映画のように扱われていますが、これは法廷劇です。
裁判という人間が作り出した制度の中で、悪魔憑きによりエミリーが死に至ったのか、それとも彼女が(精神の)病であったにも関わらず治療を受けさせなかったことから死なせてしまったのか、を争うのです。
一般に「現実的」と言われる制度の中で「科学的」とされる考え方と「非科学的」とされる考え方を同じ俎上にのせてしまう不可思議な設定ですが、これは1970年代に実際にあったことを元に描かれています。

久しぶりに見てよかったと思えた映画でした。
ただ、どこがよかったかと聞かれるとなんとも答えようななく、自分の表現能力の低さに情けなくなります。簡単に言えば好みの要素(法廷、宗教観、精神医学)が全て入っているから、くらいでしょうか。
以下ネタバレ入ります。

エミリーに起こったことは法廷の中で徐々に明らかになっていきます。
最初は検察主張のエミリー病説。
立証がすすむにつれ、成る程と思わせられます。
私は基本的に、幻覚や幻聴は脳が作り出すものだと思いたい方です。
だから、この「エミリーは病だった」という立証過程はとても心落ち着くものでありました。
一見不可思議に思えるものも、病が引き起こしたものだと客観的に証明してくれるのですから。

しかし裁判がすすむにつれムーア神父やエミリーの家族、ボーイフレンドの視点からの証言が始まると、今度はエミリーが本当に憑かれていたのではと思わせられるのです。
辣腕弁護士エリンも同じです。彼女は、悪魔の存在を信じてはいませんでしたが、事件を調べていくにつれ、彼女の中での判断が揺れて行きます。
そして、勝つことが全てのような人間だった彼女が、悪魔が本当に存在したのだと主張することによりムーア神父の無罪を主張するのではなく、陪審員に判断を委ねる弁論をするのです。
「エミリーは病であったかもしれないが、そうでない可能性もある。悪魔に憑かれていなかったかもしれないが、そうでないとは誰も言い切れない。でも確かなことがひとつだけある。エミリーは神父を信じ、神父も全力でエミリーを助けようとしたことです」と。
そして製作側も、観客に対し、あなたはエミリーの事件は実際はどうだったのだと思いますか?と問うているのです。
判決の結果は出ますが、結局白黒はっきりとはしないまま映画は終わります。

だから見る側はぽーんと投げ出されたような形にはなりますが、どちらにもある程度納得させられ、価値観押し付けタイプの映画にあるような嫌悪感がありませんでした。私は人の心の中に無理やり押し入って主張を通そうとするようなものが苦手です。だからこの映画が好きと思えたのかもしれません。

個人的には…やはりエミリーは病であったのだろうと感じましたが、「エミリーは神父を信じ、神父も全力でエミリーを助けようとした」事実は信じたいと思いました。
…そうなると評決ができなくなりますね…
日本でも裁判員制度が始まる中、こういう映画は別の意味でも面白いです。

映画で気に入らないと思ったのは、弁護を引き受けてからエリンの周りで不可思議なことが起こりはじめること。
この演出のせいでエリンの変化がチープなものに受け止められかねないと思いました。エミリーの事件の外では完全に法廷劇に徹して欲しかったです。そうでなければ、映画全体が安っぽくなってしまいます。


以下追記です。

シカゴ発映画の精神医学さんのブログでは精神科医としての立場から、きっちりとした評価が下されています。ぜひご覧下さい。
私はこのように専門的知識をもっていないため、はっきりと判断できません。改めて思い返すと、私はこの映画に悪魔憑きや精神の病であるとかを他人が判断するという点のみに重きをおいて見ていたような気がします。
それは裁判員制度導入にあたって自身がもつ不安からかもしれません。
人間はそれぞれ個々のバックグラウンドに基づき判断を下さざるを得ません。しかし、それ自体が過ちであるかも知れないという戒めを自身に課さなければ単なる思い込みにすぎない状態で他人を裁くことになってしまいます。
裁判員制度は重大な事件について市民から裁判員を抽出します。そして迅速な審理を行います。
今の自分にそれだけの責任を負えるような、また偏見を持たずに立ち会えるかの自信がありません。
何のための専門家なのでしょうか?
法科大学院を増やし、法曹人を増やす(やはり弁護士登録される方が多いことでしょう)ことはもちろん大切なことです。
過疎地での裁判所や弁護士会の方々はいつも大変だと思います。
しかし、こういった改革をされるのであれば裁判官を増やして欲しいと思います。大規模庁であれ、地方であれ、一人の裁判官がもつ事件数はあまりにも多いと思っています。
専門家だから任せられる、信用できる、そんな裁判官を育成して欲しいと願うのは私のわがままでしょうか…。
一方で被害者及び遺族の方々には、刑事事件の裁判過程についてもっともっと説明されるべき法制度が整備されていくことを望んでいます。
映画とはどんどん離れて行きますので、このへんで打ち切りますが、こういった問題だけではなく、悪魔祓いvs精神医学といった点でも自分の中にヒットする映画ではありました。

(…でも見る人によってはきっとはっきりとしない映画!という評価がなされるのも納得できる映画でもあるのは何となくわかります)

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| 2006/04/06 | アメリカ映画 | TB(0) | COM(0) | TOP ↑ | 編集|
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