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OLの”映画備忘録”みたいなもの

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ココニイルコト

そらをながめていれば・・・

ココニイルコト
ずーっと見たかった映画でした。
真中瞳って、ほんとにそのままどこかの会社にいそうな感じでリアルでした。

不倫の清算で大阪まで飛ばされてきて、全てどうでもよさそうに見えて、その実、胸に抱えていることはたくさんあるのに人からはそんな風には見られない不器用な女性…。
彼女に会えただけでこの映画を見てよかったと思えました。

「最初から期待しなければ傷つかない」
私を含め、みなどこかに持っているお守りみたいな呪文を心にしまいこんでいる。

きっとこの映画で語られるのは堺雅人さん演じる前野さんのことの方が大きいかな、
「ええんとちゃいますか」
となんでも笑って受け流す前野さん。
でも、結局根っこは同じように感じました。

ただ、その表現の方法で他人との繋がり方は大きく変わるんですね。
傍観者の側でいると二人とも同じような気質に見えるのに、実際にこの二人と出会ったら多分返す反応は違ってしまうと思いました。

前野さんは人をほがらかに楽しい気持ちにさせてくれます。
最初は彼の無責任な「ええんとちゃいますか」に戸惑いながらも気持ちがほどけていく彼女の様子に見ている私もほっこりさせられます。

終りまで何だか前野さんは前野さんらしく、彼女は彼女らしく大きく変わることはないけれど、心の中にほっこりとするものを持ってゆっくり生きていくのだなあと感じさせられました。

疲れているときこの映画を引っ張り出してきてぼーっと眺めているだけで癒されそうです。

…ただ大阪人と描かれている堺さんの「ええんとちゃいますか」の発音は大阪弁というよりはおおざっぱにいえば関西弁、どちらかというと京都に近い気がします。
そのはんなりとした空気感がまたこの作品の優しさを生み出しているのだとは思いますけれども。

眠れない夜にまた観てみたいなと思う作品です。

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| 2008/06/01 | 邦画 | TB(0) | COM(0) | TOP ↑ | 編集|
ゆれる

人間は如何に脆く弱い存在であるものか
ゆれる
ミステリー仕立てのストーリー展開ながら答えのないまま終わる映画です。
人の死を描きながらそれに対する何らかの答えを出すことではなく、人間(兄弟)の絆、信頼の不確かさを何度も何度も抉っていくのです。
未見の方はあらすじについて画像リンクからアマゾンでたどって下さると助かります。
以下ネタバレというか私の感じたストーリーです。
結局は思い込みで再構築したものかもしれません。
おそらく粗筋は合っていたとしても見た人によって物語は違って感じるような気がしますので…。



都会で成功を収めた弟猛(オダギリジョー)、田舎で真面目に働く兄稔(香川照之)、二人の幼馴染の智恵子の3人で出かけた渓谷で起こった、智恵子の転落死事件。
これがきっかけとなり兄と弟の間で今まで確かにあったであろうと思われる何かが揺れはじめます。

吊橋の上で何が起こったのか。
智恵子の転落死は事故だったのか、それとも兄稔が突き落としたのか。
肝心のシーンで映像は止められています。
でも弟猛は遠くからとはいえそのシーンを見ていたということだけははっきりと解ります。

稔の逮捕から猛は兄の無実を勝ち取るため弁護士の叔父を頼り奔走します。
しかし、裁判の過程で見る兄の姿、接見で話す兄の姿から、猛は自分が見てきた兄の姿を信じられなくなります。
傍聴席で見る兄は相変わらず真面目で、朴訥で、自分が側にいながら助けられなかった自責の念を語ります。
一方接見室では猛に対し
「お前は殺人者の弟になるのが嫌なだけだ」
「お前は最初から誰も信じていない、それが俺の知っているお前だ」
「(お前と一緒に東京に行きたいだなんて言い出す)智恵子はお前の重荷だっただろう」
猛は混乱していきます。
自分が見てきた兄は一体何者なのだろう。
本当の兄の姿とは…?

人は己が見たいがものを見、信じ、そしてそれを相手に投影します。
吊橋で起こったことは見ていた。
しかし、そのことに対する意味づけはいくらでも変わるのです。
見たときは事故だと判断したのかもしれない。
けれど、今の兄の姿を見ると兄が突き落としたのかもしれない。
人の記憶はいくらでも塗り変わるのです。

そして最後の証言で、弟は兄を断罪します。
「兄が突き落とした」と。
猛の中での兄は人格者だった。
けれど今は違う。本来の兄を取り戻さなくては。
だから今後自分の人生がどのように変わって行こうともそのために証言するのだ、と。

兄稔も揺らぎの中に生きています。
突き落としたのか、事故だったのかを問わず、彼が智恵子の転落死に対する自責の念を感じていたのは事実であると感じます。
田舎での狭い社会、常に周囲に気を配り生き続けて来た自分が拘置所に入ることによりやっと己の心ひとつになれた…。
ある意味心安らかになれたと同時に不安も抱えていたことと思います。
不安定な心の中、東京で自由に暮らしている弟への葛藤、劣等感、そういった感情も閉じ込めておく必要もなく現れてきてしまうのは当然と感じました。
そして、弟が兄の心配をし、信じているという姿を見れば見るほど弟に対する気持ちが揺らぎはじめます。
お前は本当に俺を信じているのか?
そして弟への嫉妬や苛立ちが稔を襲ってきます。

二人のやり取りは稔が猛を試しているようにしか見えませんでした。
そして猛はそれにゆさぶられ続け、己を見失います。
殺人事件の裁判過程という極限状態の中で、二人の心の揺らぎだけが本筋になっていきます。
己の信じてきたものが信じてきたものの真の姿であるのか。

智恵子の死が殆ど取り上げられずにいるのは、この、人の心の揺らぎ(=弱さ)を描くというこの映画のテーマの中では仕方のないことなのかもしれません。

当初、稔にとっては智恵子の死に責任を感じている以上、殺人者となろうと無実となろうとどちらでも構わなかったのだと思います。
私自身は、稔に邪心はあったであろうけれども智恵子は事故死であったのだと感じていました。
そして猛が証言に立つまでは稔の無実はほぼ確実になりつつありました。

責任を感じて自首した稔ですが、釈放されることになればこのまま田舎で生きていくことになる以上やはり今までのしがらみから逃れられることはなくなります。
だから、それを受け入れつつこれからの自分のあり方を考え、これからは職場であるガソリンスタンドの改装をして今までとは違う生き方をしていきたいとある意味心を切り替えて弟に語りかけます。
そしてそれがまた弟の心を揺さぶります。
兄は何を考えているのだ?と。

結局猛は兄への信頼の、もしくは絆であった吊橋を自分から断ち切ります。
自分の中にあった兄を守る、即ち自分(の心)を守るという意味で兄を切ってしまうのです。
実際に見ていた光景の意味は証言するまではゆらいでいたのでしょうけれど、言葉にすることによって確信に変わって行ったのかもしれません。
記憶の意味なんて簡単に変わります。
人間が如何に脆く弱い存在であるかということを突き付けられます。
何よりも怖いのは、兄弟というどうしても断ち切れない絆を持った二人ですら、このような残酷な闇に陥ってしまうということ。

兄は猛が切ってしまったのを知ってもなお何も言わず、笑みを浮かべて法廷から去って行きます。
結局兄は自分の行く末を弟に委ね、受け入れたのでしょう。
兄はある意味解放されただろうと思いました。
完全にいい人間を演じなくてもすむ世界へ。
葛藤を感じなくてもすむ世界へ。
そしてそれは猛が稔を突き落としたという重荷を背負わせることによって得たものなのです。
互いにとって何とも残酷な行為です。

そして出所直前。
子供の頃、渓谷へ行ってすごした映像を見た猛は再度揺り動かされます。
兄はやはり己の兄だったと。
絆はそう簡単には切れない。どれだけ揺れても揺り戻される…。
何故信じなかったのかと。

ラスト、弟が駆けつけたとき兄はバスに乗る直前ででした。
そのままエンドクレジットに入るので、二人がどうなったのかの結論は見る側に委ねられたまま映画は終わってしまいます。
私は稔がバス停で猛に気づき、微笑みかけながらもそのままバスに乗って去って行ったと感じました。
稔は町から、しがらみから解放されたかったであろうと感じたから。
そして猛ともう一度やり直すにはまだ時間が必要だと感じたからです。


しかし、こうして書いていても頭の整理がつきません。
猛の視点から物語が進むのですが、人間が多面性を併せ持ちつつひとつの人格を形成しているという当たり前でありながら難しい姿を香川照之が非常に細かく演じるので正直なところ稔の姿がわからなくなり、本当に智恵子を殺したのだろうか、本当に悪人なのだろうかと猛のように揺り動かされました。
でも、なぜか稔の立場にふっと入った瞬間があって、あれは事故だったんだけれど自分が許せないんだと感じてしまいました。そして弟への嫉妬やら自身の心の闇やらがとぐろを巻いて襲い掛かってくるような感覚に陥りました。
だから稔が猛に己の運命を委ねるという残酷な選択をしたのではないかと感じたのです。
そのとき、何とも救いのない映画だと思いました。

それでも、ラスト二人が見つめ合う時間を持たせてくれたのは、どんなに揺れる吊橋であろうと、また一旦切れてしまった吊橋であろうと、再度かけ直すことができるかもしれないという希望を見せてくれているような気がしました。そうでなければ自分自身が救われない気持ちがしたからかもしれません。

見る人に判断を委ねるような映画だから1度観ただけで感じたことは、次回みたときにはまた違って感じると思います。
そしてその時々の自分の心情に合わせてこの物語も変わって感じるのではないかとも思います。
おそらく原作を読めば監督の意図は解るのでしょうし、DVDにコメンタリーでもついてればはっきりするのかもしれませんが、私は毎回違う感じ方でこの映画を見て、そして自分の心を振り返りたいと思いました。

| 2007/02/11 | 邦画 | TB(0) | COM(1) | TOP ↑ | 編集|
恋愛寫眞 - Collage of Our Life -

期待しないで見てください
恋愛寫眞 - Collage of Our Life -
恋愛寫眞 - Collage of Our Life -

広末涼子も松田龍平もどちらかというとあまり好きな俳優じゃありません。
でもこの映画の中ではとても魅力的な人間でした・
少女漫画の一番あまいところを切り取って映像化したようなとても不思議な作品です(期待していなかったので余計そう感じたのかもしれません)

松田龍平演じる誠人が広末演じる静流のカメラを手にして彼女が見たNYの街を撮影し続ける姿は静流が見た景色を自分も感じたいと思ったから。
ラストで彼女の名を名乗り、彼女の名でカメラマンとして生きていくのは、彼女の視線で被写体を見つめることでこれから先二人分で生きていく決意の現れ。
誠人の静流の才能への嫉妬から離れることになってしまった二人は、結局それを超えて二人で寄り添い、同じものを見続け生きていくのです。

大学時代の周囲の人々、同窓会のシーン、舞台がNYに移ってからも人の心の醜いところは描かれているものの映像はただ淡々と進むのみです。
小池栄子だけが唯一この映画の中でリアルを持ち込んでいたけれども、ひっかかりのくれるセリフが少しずつあったりするけれども、それらを補ってなお広がる透明感。

この映画は映像を楽しむための映画かもしれないと思います。
映像というよりは写真集のような映画。
写真を撮る人ならきっとこんな風に生きた瞬間を切り取りたいという気持ちを喚起させられるかもしれません。
広末涼子ファンの人もそうでない人も彼女の演じる静流には惹きこまれることだと思います。
近々廉価版のDVDも出ることですし、一度手にとってみて下さい・

正直色んな人の感想を聞いて見たい映画でした。
うちの家族は何言いたいのかわからない、広末は嫌いだったけどこの映画では可愛く感じると言っていました。大半そうかな?

| 2005/11/03 | 邦画 | TB(1) | COM(0) | TOP ↑ | 編集|
亡国のイージス

映画化はやっぱり難しかったのかな…
もうひとつの 「亡国のイージス」 ~オールアバウト・如月行~

今日はご縁でチケットを複数枚頂いた「亡国のイージス」を見てきました。
きっとまだまだ見に行きます。
映画化決定前から原作のファンで福井さんの作品の中でも人に薦めまくった作品です。
如月行のキャスティングが決まった時点で”はまり”だと思いました。
わかった時点で彼の本まで買ったくらいです。
勝地涼という俳優さんは以前から注目していました
(…と言っても「パコダテ人」(宮崎あおい in 『パコダテ人』)やちょっと待って、神様(名作!)といった宮崎あおい作品での彼の演技です)。
とにもかくにも彼がキャスティングされた時点で、仙石さんがかっこよすぎの真田広之であることも含めて期待大!の映画でした。
(ローレライは映画を見ても余り印象に残りませんでした)

第1回を見ての感想ですが、、、
(ネタばれ多少含んでいるかもしれません)
あー、小説のここを端折ったのか、でもここはこういう意図で作ったエピソードなんだ!、あのシーンはこんな風に描かれるんだ!と自分が思い描いていた世界が眼前に広がるのを確認したというような感じでした。そして全体的に満足度の高い映画でした。
でも欲を言うなら、これだけ自衛隊が協力してくれたのなら連続ドラマのようにして、もっともっと小説世界をリアルに描いて欲しかったです。
きっと2時間少しに纏めるために端折った描写もあるはずだから、いずれDVDになったときには全てつないだ完全版を見てみたい!と思いました。
映画の中には原作を読んでいるから解るのだろうという描写が多々あります。
きっと知らずにご覧になった方は意味不明な箇所もあったのではないかと思います。ジョンヒと行のキスシーンの意味や、ヨンファとジョンヒの視線の絡み等理解できた人っているのかしら?と思いました。
勝地涼は如月行を演じるにあたってとてもよい素材であるとは思うのですが、如何せん描写が弱くて、彼が他人(仙石)と心を通わせることが如何に奇跡的であるかというこちら側が得たい感動がほとんど得られなかったのが残念です。超人的な意志の強さや能力の高さを映画からは余り感じることができなかったのは私の見る側としての能力の低さかもしれませんが、とにかく残念でした。
(この映画は主人公は真田さんだから仕方ないのかな。でもやっぱりよい俳優さんですね、改めて思いました。)

風間はどのように演じられるのか非常に興味があったのですが、原作を知っているからこそ映画の中の彼を注視できるのであって、知らない人には臆病者に見えかねないかもしれないのが勿体無いです。
書いているときりがないので、とりあえずここで終わります。

2回目の鑑賞が非常に楽しみな映画です。

映画については↓がお勧めのブログですので、ぜひご覧ください。
ネタバレ映画館(kossyさん)

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| 2005/08/24 | 邦画 | TB(4) | COM(2) | TOP ↑ | 編集|
解夏

解夏
東京で小学校の教師をしていた隆之(大沢たかお)は、視力を徐々に失っていく病に冒され、職を辞し、母・聡子(富司純子)が住む故郷の長崎に帰った。懐かしい町を目に焼き付けようと日々歩く隆之のもとに、東京に残した恋人の陽子(石田ゆり子)がやってくる。陽子の将来を憂い、この先の人生を思い悩む隆之。そんな隆之を笑顔で支えようとする陽子。そして、2人を静かに見守る聡子。ある日2人は訪れた寺で林(松村達雄)という老人に出会う。林の暖かい人柄に触れ、自らの病気を告白した隆之に、林は 「解夏」 の話を始める…。

見えなくても聞こえなくても人の絆は感じることができる、そんなことを伝えてくれた気がする映画。
難病もののラブストーリーなんて普段は絶対見たくないけれど、TVのおかげで運良く見ることができた。

最初に感じたのは、陽子は普通の女性に見えてとても上手に気持ちを伝えることができる人だということ。

初めて隆之の実家を訪ねたときに、隆之の母から部屋があいているから使ってと声をかけられ

「ごめんなさい、私遠慮ができなくて」。

隆之の母の「あなたをとても可愛いと思えば思う程、あなたを不幸にしてしまうからこのままではいけないと思うの」の言葉に

「嬉しいです。でも私いじっぱりなんです」

言葉は多くないけれど彼女の気持ちはまっすぐに伝わってくる。
うらやましい。
なんて心地のよい人なんだろう。

映画は見えなくなる過程を情緒豊かな長崎を舞台に淡々と描いている。
言葉はもちろん、いわゆる山場も多くはない。
だからこそ長崎の鐘の音がとても効果的。
そして、見えなくなっていく日々を追っていく。
なのに二人の絆がどんどん強くなっていくのを感じる。
白い霧の中で微笑む陽子を眺めながら自身の「解夏」を迎えた隆之。
こんな行(ぎょう)をこのような気持ちで迎えることができる彼を見て、そして彼女を見て、いつか大事な人と一緒に見てみたいなと思った。

| 2005/04/30 | 邦画 | TB(3) | COM(2) | TOP ↑ | 編集|
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