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OLの”映画備忘録”みたいなもの
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| ココニイルコト |
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そらをながめていれば・・・
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| 好久没有見了! |
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余りに放置しすぎると広告が入るそうなので・・・
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| ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ |
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ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ
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| ディパーテッド |
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オリジナルとは別物として見れば楽しめます
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| ゆれる |
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人間は如何に脆く弱い存在であるものか 都会で成功を収めた弟猛(オダギリジョー)、田舎で真面目に働く兄稔(香川照之)、二人の幼馴染の智恵子の3人で出かけた渓谷で起こった、智恵子の転落死事件。 これがきっかけとなり兄と弟の間で今まで確かにあったであろうと思われる何かが揺れはじめます。 吊橋の上で何が起こったのか。 智恵子の転落死は事故だったのか、それとも兄稔が突き落としたのか。 肝心のシーンで映像は止められています。 でも弟猛は遠くからとはいえそのシーンを見ていたということだけははっきりと解ります。 稔の逮捕から猛は兄の無実を勝ち取るため弁護士の叔父を頼り奔走します。 しかし、裁判の過程で見る兄の姿、接見で話す兄の姿から、猛は自分が見てきた兄の姿を信じられなくなります。 傍聴席で見る兄は相変わらず真面目で、朴訥で、自分が側にいながら助けられなかった自責の念を語ります。 一方接見室では猛に対し 「お前は殺人者の弟になるのが嫌なだけだ」 「お前は最初から誰も信じていない、それが俺の知っているお前だ」 「(お前と一緒に東京に行きたいだなんて言い出す)智恵子はお前の重荷だっただろう」 猛は混乱していきます。 自分が見てきた兄は一体何者なのだろう。 本当の兄の姿とは…? 人は己が見たいがものを見、信じ、そしてそれを相手に投影します。 吊橋で起こったことは見ていた。 しかし、そのことに対する意味づけはいくらでも変わるのです。 見たときは事故だと判断したのかもしれない。 けれど、今の兄の姿を見ると兄が突き落としたのかもしれない。 人の記憶はいくらでも塗り変わるのです。 そして最後の証言で、弟は兄を断罪します。 「兄が突き落とした」と。 猛の中での兄は人格者だった。 けれど今は違う。本来の兄を取り戻さなくては。 だから今後自分の人生がどのように変わって行こうともそのために証言するのだ、と。 兄稔も揺らぎの中に生きています。 突き落としたのか、事故だったのかを問わず、彼が智恵子の転落死に対する自責の念を感じていたのは事実であると感じます。 田舎での狭い社会、常に周囲に気を配り生き続けて来た自分が拘置所に入ることによりやっと己の心ひとつになれた…。 ある意味心安らかになれたと同時に不安も抱えていたことと思います。 不安定な心の中、東京で自由に暮らしている弟への葛藤、劣等感、そういった感情も閉じ込めておく必要もなく現れてきてしまうのは当然と感じました。 そして、弟が兄の心配をし、信じているという姿を見れば見るほど弟に対する気持ちが揺らぎはじめます。 お前は本当に俺を信じているのか? そして弟への嫉妬や苛立ちが稔を襲ってきます。 二人のやり取りは稔が猛を試しているようにしか見えませんでした。 そして猛はそれにゆさぶられ続け、己を見失います。 殺人事件の裁判過程という極限状態の中で、二人の心の揺らぎだけが本筋になっていきます。 己の信じてきたものが信じてきたものの真の姿であるのか。 智恵子の死が殆ど取り上げられずにいるのは、この、人の心の揺らぎ(=弱さ)を描くというこの映画のテーマの中では仕方のないことなのかもしれません。 当初、稔にとっては智恵子の死に責任を感じている以上、殺人者となろうと無実となろうとどちらでも構わなかったのだと思います。 私自身は、稔に邪心はあったであろうけれども智恵子は事故死であったのだと感じていました。 そして猛が証言に立つまでは稔の無実はほぼ確実になりつつありました。 責任を感じて自首した稔ですが、釈放されることになればこのまま田舎で生きていくことになる以上やはり今までのしがらみから逃れられることはなくなります。 だから、それを受け入れつつこれからの自分のあり方を考え、これからは職場であるガソリンスタンドの改装をして今までとは違う生き方をしていきたいとある意味心を切り替えて弟に語りかけます。 そしてそれがまた弟の心を揺さぶります。 兄は何を考えているのだ?と。 結局猛は兄への信頼の、もしくは絆であった吊橋を自分から断ち切ります。 自分の中にあった兄を守る、即ち自分(の心)を守るという意味で兄を切ってしまうのです。 実際に見ていた光景の意味は証言するまではゆらいでいたのでしょうけれど、言葉にすることによって確信に変わって行ったのかもしれません。 記憶の意味なんて簡単に変わります。 人間が如何に脆く弱い存在であるかということを突き付けられます。 何よりも怖いのは、兄弟というどうしても断ち切れない絆を持った二人ですら、このような残酷な闇に陥ってしまうということ。 兄は猛が切ってしまったのを知ってもなお何も言わず、笑みを浮かべて法廷から去って行きます。 結局兄は自分の行く末を弟に委ね、受け入れたのでしょう。 兄はある意味解放されただろうと思いました。 完全にいい人間を演じなくてもすむ世界へ。 葛藤を感じなくてもすむ世界へ。 そしてそれは猛が稔を突き落としたという重荷を背負わせることによって得たものなのです。 互いにとって何とも残酷な行為です。 そして出所直前。 子供の頃、渓谷へ行ってすごした映像を見た猛は再度揺り動かされます。 兄はやはり己の兄だったと。 絆はそう簡単には切れない。どれだけ揺れても揺り戻される…。 何故信じなかったのかと。 ラスト、弟が駆けつけたとき兄はバスに乗る直前ででした。 そのままエンドクレジットに入るので、二人がどうなったのかの結論は見る側に委ねられたまま映画は終わってしまいます。 私は稔がバス停で猛に気づき、微笑みかけながらもそのままバスに乗って去って行ったと感じました。 稔は町から、しがらみから解放されたかったであろうと感じたから。 そして猛ともう一度やり直すにはまだ時間が必要だと感じたからです。 しかし、こうして書いていても頭の整理がつきません。 猛の視点から物語が進むのですが、人間が多面性を併せ持ちつつひとつの人格を形成しているという当たり前でありながら難しい姿を香川照之が非常に細かく演じるので正直なところ稔の姿がわからなくなり、本当に智恵子を殺したのだろうか、本当に悪人なのだろうかと猛のように揺り動かされました。 でも、なぜか稔の立場にふっと入った瞬間があって、あれは事故だったんだけれど自分が許せないんだと感じてしまいました。そして弟への嫉妬やら自身の心の闇やらがとぐろを巻いて襲い掛かってくるような感覚に陥りました。 だから稔が猛に己の運命を委ねるという残酷な選択をしたのではないかと感じたのです。 そのとき、何とも救いのない映画だと思いました。 それでも、ラスト二人が見つめ合う時間を持たせてくれたのは、どんなに揺れる吊橋であろうと、また一旦切れてしまった吊橋であろうと、再度かけ直すことができるかもしれないという希望を見せてくれているような気がしました。そうでなければ自分自身が救われない気持ちがしたからかもしれません。 見る人に判断を委ねるような映画だから1度観ただけで感じたことは、次回みたときにはまた違って感じると思います。 そしてその時々の自分の心情に合わせてこの物語も変わって感じるのではないかとも思います。 おそらく原作を読めば監督の意図は解るのでしょうし、DVDにコメンタリーでもついてればはっきりするのかもしれませんが、私は毎回違う感じ方でこの映画を見て、そして自分の心を振り返りたいと思いました。
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| 2006年 総まとめ雑記 |
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自分で書くのもなんですが、かなり放置していたので久しぶりに来てみました。
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